第16回 タイにおける「継続」と「革新」
上田曜子・同志社大学経済学部教授
これまでのタイを特徴づけてきたのは、継続性ではなかろうか。過日、「継続」と「革新」をテーマにタイの政治経済について講演する機会を得て、タイが他のASEAN諸国と比べると継続性の強い国であることに気が付いた次第である。
ここでいう「革新」とは、それまでその国を規定していた基本的な制度が崩壊し、根本から新制度を構築する等の大きな変化を指している。「断絶」と言い換えてもいいだろう。例えばインドネシアのように宗主国との独立戦争を経て独立を勝ち取り、新しい国づくりに着手する、あるいはスハルト大統領という長期独裁政権が崩壊したのちに、混乱を経て新しい政治体制を構築する等の変化があげられる。
確かにタイの近代史を振り返ると、タイも節目となる変革を経験している。例えば1932年の立憲革命により絶対王政から立憲君主制に移行したことがそれに相当しよう。絶対王政の終焉による王室権威の失墜は、タイの歴史上、大きな変化であったはずである。
しかし、王室の権威は、1940~50年代のクーデタによって政権を掌握した軍人たちによって、復活する。軍人たちがクーデタという違法行為を正当化するために、王室のお墨付きを必要としたからである。さらに、1973年の10月14日事件は、一般的には、学生デモが民主化を推し進めた事件とされているが、実はこれを機に、国王の政治関与が始まったという。同事件には、軍依存から脱却を図りたい国王の意向が反映されており、いわば軍の協力を得て王室が促進した「民主化」であったとみられているからである。そしてこれ以降、国王が国政に影響力を行使するという体制が現在まで継続することとなった。一般の日本人になじみ深いタイ国王像、つまり「政治的な対立が生じると、国王が仲裁に入り、混乱を鎮める」という「国父」としてのイメージは、この継続性に基づいて作り上げられたものである。
国王を頂点とし、それを上流階級としての軍と官僚が支えるという体制は、1980年代に強化された。そして、この政治的安定を背景に1980年代のタイは、経済成長を達成する。その過程で誕生した都市中間層は、この政治体制の支持者に加わり、同体制はさらに盤石なものとなった。
この強固な体制に揺さぶりをかけたのが、農村部の圧倒的な支持を得て2001年に政権の座に就いたタックシンである。それまでの体制は、都市部の上流階級と中間層にとって都合の良い体制であり、農村の人々と都市貧困層には、政治に参加する機会は与えられていなかった。それまで維持されてきた都市と農村のある種の均衡状態が、タックシンの登場によりバランスを失い、農村部の人々・都市貧困層を巻き込んで、タイの政治は不安定な時代に突入した。この意味で、タックシンは大きな「変革」をタイ政治にもたらした「変革者」といえよう。
私の知人に、熱烈な黄色シャツ(反タックシン派)支持者の大学人がいる。その知人の言葉を借りるならば、農民は「教育のない、馬鹿」であり、「モノを知らない」存在であるという。従って、彼らの支持を得て首相の座に上り詰めたタックシンは許容しがたく、「タイには民主主義はなじまない」とまで主張する。
タックシンは、結局2006年、軍のクーデタにより、政権の座を追われた。国王に近い軍人筋からの指示により軍が行動を起こしたとされる。しかしながら、2007年に実施された総選挙では、再びタックシン派政党が第一党となり、2008年にはタックシン派政権が誕生する。しかし、同年、この政権も追放の憂き目にあう。ただし軍隊の力ではなく、憲法裁判所の判決という司法の力によってである。選挙でタックシン派に勝つことがかなわない反タックシン派が、体制を維持するために司法権力を乱用しているのである。
インラック政権が昨年の8月に誕生して、1年が経過した。同政権に対する国民の評価は高く、選挙が実施されれば、勝利は確実といわれている。これに対して司法の力を使って自らに都合の良い判決を下し、体制維持を図ろうとする反タックシン派。現在のタイ社会に、ゆゆしき不平等が存在することは、たとえ農村の人々がどんなに「馬鹿」であったとしても理解できよう。あるタイ人政治学者は、「農村の人々は、タックシンを利用して、政治ゲームに参加することを選択した」という。そうであるならば、タックシンのみならず、この社会的不平等を正すことを目的とする赤シャツの運動は、タイに「革新」を引き起こす可能性を秘めているといえよう。
筆者プロフィール:上田曜子
同志社大学経済学部教授、経済学博士。1958年生まれ。京都大学大学院経済学研究科修了。現在はタイ資本の自動車部品製造業者に関する研究を行っている。
(2012年9月14日 14:25)